世界遺産を作った大工棟梁 中井大和守正清


20120221大阪城祭日程今日で第3日目。大阪くらしの今昔館館長で市大大学院教授の谷直樹さんの「大工棟梁・中井大和守正清」の講演。
中井家がかかわった仕事をその時に交わされた書状をひも解いて、お話してくださった。戦国時代に荒れ果ててしまった法隆寺(金堂、五重塔、聖霊院、三経院)の再建、大坂の陣のときに徳川方陣屋の造営については板倉勝重からの書状、他にも方広寺の大仏殿も中井家が造営にかかわり、あの曰く因縁の釣鐘(大坂の陣の起因)を作ったときの片桐且元が中井正清に送った書状も興味深く拝読。京都御所、二条城など、中井家には8000点の指図等の資料が残されているという。中井家の仕事なくしては(再建して後世に残す)世界遺産もなかったということです。
で、講演終了後、周りの受講者間で四天王寺再建のとき四天王寺のお抱え大工「金剛組」の話は出なかったなぁと(・_・?)という疑問が出て、講演後に谷先生に質問。資料が無いもので分からないとのことですが、大坂の陣後では、六時堂の再建は中井家によるのだそうです。どこかで四天王寺伽藍の再建は金剛組(第25代是則)によるものだと聞いていた。四天王寺のすべての建造物は金剛組と思っていたのは間違いだったのか。。。。
大切な資料は遺しておくことであるな、とつくづく思う。